国語の勉強(小説) 【登場人物の気持ちが分からない】 #17
ども、所長です!
2週間50記事企画進行中です。(これが17記事目)
今回は
「この時の主人公の気持ちを答えなさい」とか書いてるけど、私は主人公じゃないんだから分かるわけない
という言葉にどう向き合うかという話題です。
国語こそ答えは一つ
まず、世間に広がっている間違いを1つ指摘しておきます。こんなことを思ったり、聞いたりしたことありませんか?
「国語って算数(数学)みたいに答えが1つじゃないから嫌い」
私も高3までこう思ってました。苦手ではないけど、なんか嫌い。算数、数学は答えが1つなのに、国語ってなんとでも答えを書けるから好きになれない。
これは大きな間違いです。東大を受験していただければ、もしくは国語と数学を両方ともレベルの少し高めな子どもに教えてみれば、分かるんですけどねえ…
世間の多くの方はそんな経験しないので、その理由を説明します。
そもそも、算数や数学はある一定のレベルを超えるとただの計算だけのような問題はなくなり、証明問題のような問題が増えてきます。
証明問題に関して言えば、高校生が中学生の教科書に書かれてある内容だけ使って答えても過程が間違えてなければ正解ですし、逆に中学生が三角関数を使って合同や相似を証明しても正解なわけです。
ですから、数学こそ答えは1通りではありませんし、記述式の問題というのは、その1通りではない答えの過程を採点しています。
一方、国語に関して言えば、微妙な表現の違いはあるかもしれませんが、作問者の用意する答えは一通りです。証明問題のようにそこに至る過程が見られるわけでもありませんから、国語こそ一通りの答えになるわけです。
物語文でも同じ
このような話をするとこういう返しが待っています。
「たしかに説明文とかはそうかもしれないけど、物語文の問題で登場人物の気持ちとか聞かれても何だって答えられるじゃないですか?」
これはテストの前提を1つ無視した言葉になっています。
テストに出てくる「〜〜について答えなさい」には暗黙の了解としてこのようなカッコが入っています。
「〜〜について(作問した人の答えてほしいものを)答えなさい」
つまり問題を作った人の気持ちも踏まえての「答えなさい」なわけです。
賢い子はこのコメントだけすればそれだけで小説の点数が一気に上がることもあります。
ですが、最後に登場人物の気持ちを答える問題についてのヒントも残しておきましょう。
陳腐な表現
まずは小説の作りから考え直す必要があります。
小説では直接的な表現が増えれば増えるほど、どんどんつまらないものが出来上がります。
例えば、好きな子への告白前の場面を描写した文章を比べてみます。
「わたしは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった」
という表現がこんな表現になるとどうですか?
「わたしは本当に恥ずかしくなって何も言えない状態になってしまった」
急に安くなります。
登場人物の気持ちは分からなくてもいい
最後に本題ですが、これも上の例を使います。
上の例の文章に線が引いてあって
「この時の主人公の気持ちを答えなさい」
とあったら、それはこう言い換えることができます。
「顔を真っ赤にするのはどんなときで、その上、うつむいてしまうってどんなときですか?文脈的には一通りに決まりますよね?答えてください」
問題を答える子どもはこの問題を作った人の気持ちに沿った答えを作れば、答えは一通りですから答えられるようになります。
顔を赤くする、という表現がどんなときに使われるのか、うつむく、という表現がどんなときに使われるのか知ってさえいれば、
かなり極論ですけど、「主人公の気持ちなんか分からん」というスタンスを変えずとも答えられるわけです。
まとめ
ちなみに登場人物の気持ちを答えさせる問題ができないからと言って子どもの共感能力が低いわけでは決してありません。
国語を教える側の先生も、子どものテストを見た保護者の方も優しく指導してあげてください。
それではまた、所長でした!
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